写真ブログをあまりにながく放置しすぎてログイン不能になりました凹凸
よってこちらに書いています。
このたびLeica M Monochrom(Typ246)をゲットしました。M10版のモノクロームがすでにでているので旧モデルです。
だから少ないお布施ですんだのです。元の定価は7450ユーロ、そこから52%引きで買いました。
れっきとしたLeica Store某支店からです。
オッファーはLeica公式オンラインショップでみつけました。
元デモ機で使用シャッター回数は2500弱、リファービッシュ済なので見た感じは新品同様です。
レンズはCosina製フォイクトレンダーAPO-Lanthar 50mm F2.0 ASPH VMにしました。
APO Summicron M 50mmの七分の一の価格にもかかわらず同程度の光学性能ということで、レンズではお布施を払わずにすみました。
Leica購入にあたっての最大の懸案は価格です。私見によればその半分はお布施です。しかしLeica教信者は好んでそのお布施をはらいます。そのお布施には未来永劫Leicaさまにカメラ界に神として君臨してほしいという切ない願いが込められているのでしょう。
しかしわたしは信者ではないのでお布施は払いたくない、もっとザッハリッヒな価格なら買いたい、とかねがね思っていました。
今回は中古品ですが誰も所有・使用していないデモ機であるし、使用シャッター回数も少ないし、一年の保証付きなので安心です。元値の半分以下ならお布施もほとんど含まれていないと考えてもいいでしょう。本来ならこの程度の価格で販売されればいいのです。
これまでLeicaといえばCLしか使ったことがありません。しかし肝心のレンジファインダーが不調で一度修理に出し(けっこう修理費がかかりました)それでもピント合焦の歩留まりがあまりに低いので手放しました。
Leica MマウントならばZeiss Ikonを使ったこともあります。これはいいカメラでC Sonnar 1.5/50との組み合わせもよかったのですが経済的な理由からこれも手放しました。機会があれば買い戻したい気持ちもありますがフィルムカメラはもういいか、という気分のほうが強いのです。
あとはLeica銘ではDigilux-3というフォーサーズ機を使ったこともあります。いわゆるパナライカです。しかしシャッター感触といいでてくる画像といいまさにLeicaでしたが、どうも気に入らず売りに出したところ買った価格で売れました♫。
さてM Monochrom(Typ246)です。撮影する操作感はまさにLeicaそのものです。(そりゃあそうだ)
撮影結果ではモノクローム・センサーの階調の良さがよくわかります。レンズ性能も非常によく満足です。開放F2ですがボケ具合もよろしい。
高精細という点ではそれほどでもないかな、と感じます。

ちょっと見、かなり精細感がありますが、わたしはすでにNikon Z 6とZ Sシリーズレンズの光学性能を知っているのであまり感動しないのです。
写真に何を求めるかによってLeicaは必要ないという判断もあるでしょう。
わたしは買ってしまったので自分に納得のゆく購入理由をこれからさがそうと考えています。結果、買わなければよかった、という結論に達してしまうこともあるかもしれませんが、その時はその時で後処理を考えることにしましょう。
まずはこれにて、草々
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- 2021/03/23(火) 19:51:00|
- 撮影機材
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週末より寒波に襲われ日中最高気温が零下十度という日が続くここドイツNRW州では、医療関係者、軍警察へのワクチン接種が終了し、一般市民むけの接種が、まず後期高齢者80歳以上の希望者から開始されるそうだ。本日は2021年2月10日である。
2019年冬から始まったエピデミックそしてパンデミックはいわゆる「グレートリセット」の一環として計画されたものであったことはほぼ疑う余地のないことだ。
(引用開始)
ニューヨーク--(BUSINESS WIRE)--(ビジネスワイヤ) -- ジョンズ・ホプキンス健康安全保障センターは、世界経済フォーラムおよびビル&メリンダ・ゲイツ財団と共に、2019年10月18日(金曜)にニューヨーク市で開催される世界的広域流行病マルチメディアシミュレーションの「イベント201」を主催します。一般市民は、東部標準時(夏時間)午前8時50分~午後0時30分に英語で実施される同時進行のバーチャル演習に、centerforhealthsecurity.org/event201/より登録・参加いただけます。本演習は、深刻な広域流行病が経済・社会に及ぼす影響の緩和に向けた世界規模での官民協力の必要性を浮き彫りにするものです。
(引用終了)
この世界経済フォーラムとはいわゆる「ダボス会議」のことで世界の「支配者」である資本家・政治家などが寄り合って世界支配の方針をきめるものである。今年のテーマは「グレートリセット」。いかにもおぞましい主題である。しかし現実に事態はその方向に動いている。
またご存知ビル・ゲイツはれっきとした人口削減論者で恥じることもなくそれを公言している。
また彼らの御用をつとめるジョン・ホプキンス大学はその後感染者数死亡者数の統計を発表してきた。
彼らは武漢での騒ぎが外部に伝わる二ヶ月前に堂々とパンデミックのシュミレーションを公表し、事態はほぼその通りに進捗しいよいよワクチン接種まできたのである。そうであるなら件のヴィールスが人工的なものでありそしてそれを開発製造したのは誰かというのもロジック的に明確であろう。
またこのダボス会議にはCCPも参与している。支配者層は洞穴の貉であるし人口削減は彼らにとっても深刻な国内課題であるから主体的に開発製造に関わっていたとしても不思議ではない。
この計画は随分と以前から存在しいまから10年前にビル・ゲイツは以下のようなことを言っていた。
そんなわけであるから、ワクチン接種を受けるなどとは屠殺者に首を差し出すようなものである。
ここ一年以上の宣伝で疫病への恐怖を植え付けられたものたちにとってはワクチンこそ神の救いの手のように感じているのだろう。
しかし80歳にもなって疫病から逃れてもっと長生きしたいと思う、だからワクチン接種を受けるという人々のその根性と生命への渇望にはほんとうに感服する。そしてそういう人々の命と健康を弄ぶ連中へのヘイトはますます強まる。
接種がわたしの番になるまでまだもう少し時間があるようだが、もちろんこっちはお断りだ。
去年の今頃ナポリへ旅行した。ちょうどそのころ北イタリアでエピデミックが爆発し(これもなんだか奇妙ないきさつだったが)大騒ぎのうちに帰国した。
その直後に発熱し悪寒がしたので丸一日寝ていて、それで治った。今思えばあれはいわゆるコロナに感染したのだろう。免疫が効かないウィールスだ、いや集団免疫が防疫のベストな手段だ、とまったく相反する意見があってどう判断すべきか困るわけだが、達観するのがこころの健康に一番良い。
そういえば今月も喉の激しい痛みと微熱がでてやはり丸一日寝込んだのだが、あれもいわゆるコロナ感染だったのだろうか?
二回の「感染」もどうやら無事やり過ごした。もし免疫が効くのであればほぼ安心ではあるが、変種がどんどん発生中ということであるなら三回目の「感染」もありそうだ。
しかしワクチンでそれを防げるという幻想をわたしはどうしても持ち得ないのだ。
達観しよう♫
- 2021/02/10(水) 18:04:00|
- 陰謀論=共同謀議
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この十年、阿翔とはあまりコンタクトのない間柄となってしまっていた。FBで誕生日の挨拶をかわす程度の淡いつきあいになった。彼ばかりではなくかっての同僚たちとの関係はすべて切れたといってもいい。
わたしも自立しそしてリタイアした十年だった。最初にものべたとおり外界への関心と興味も徐々に喪失し、写真撮影を通じてのみ世界を眺めるという日々になった。
一昨年、家族で一時帰国した際のことである。阿翔からFBメッセンジャーで連絡があった。「今、大阪にいる。できれば会いたい。」と。わたしが日本で撮影した画をFBにアップし彼もそれを見たのだろう。
しかし日程が会わず、会えないまま阿翔はヴィエトナム経由で帰国してしまった。
今になってみればあれが最後のコンタクトになってしまった。後知恵で言えばなんとか都合をつけて会っておくべきだった。
ドイツでいつでも会えるからと、自分に言い訳をしたのだが、しかし十年というものほとんど会ってはいないのである。お互いにおよそ50キロしか離れた地域に住んでいるにすぎないのにそうなのである。
今年にはいって中旬もすぎて突然に阿翔の娘から電話があった。ドキリとした。
そして電話は、その三日前に父が昇天した、という告知だったのである。
まさか、と思った。年はまだ60前のはずだ。娘に確認すると享年55だったそうだ。三年来闘病していたらしい。ということは大阪からメッセージをしてきたときはすでに最後の訪日だったのだ。
電話の翌日に告別の機会があるというのででかけた。
仏教徒であった故人の希望で葬儀も埋葬も行わず、骨灰は北海に散布するのだという。
告別とはただ遺体との別れであった。その姿は闘病の厳しさを物語るように80歳以上の老人の如くにみえた。
わたしは合掌し般若心経の最後の部分を念じようとしたが、言葉を発することができなかった。
未亡人がわたしに、ケータイで家人や友人が念仏を唱えて送る終焉の様子を録画したものを見せてくれた。
このようにして去ってゆくのもいいな、と正直に感じた。
仏教徒であるから輪廻転生を信じて逝ったであろう。涅槃に至ればまさに善し。
阿翔との一期一会は25年に過ぎなかった。
しかしわたしのドイツにおける生活の大半を覆う年月である。わたしも自分に残された歳月を思わずにはおれない。
阿翔だった魂とわれら生きとし生けるものすべてをつかさどる偉大なものへ静かに合掌するのみである。
- 2021/02/04(木) 17:54:26|
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