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30年前に中共の沖縄侵略計画を予言した人、其の四

M氏のいわゆる「日中青年交流」活動は、おそらく彼の全共闘活動の延長だったと思う。彼は民族派であるが左翼と共闘を組んだ。

 

そして「日中友好運動」というものも左翼主体で行われていたのである。

 

M氏が全共闘に参加した動機は明らかではないし、また「日中青年交流」活動についても真の動機は知るすべもなかった。しかし左翼との共闘という行動パターンが似ているのが興味深い。

 

 

しかし、そのころの事情を知らない若い人々は理解できないだろうが、当時の左翼学生には明治維新に憧れ、尊皇攘夷の志士たちに敬意をはらう、という心情が濃厚だったのである。

 

さらに、彼らの間で東映ヤクザ映画がもてはやされ、とくに高倉健の人気は絶大だったことも銘記しておきたい。

 

彼らにとっては暴力による世の中の改変というテーマが普通であったからであるが、しかし口には出さないが「愛国」というモチーフは底流していたと思う。

 

それだからこそ、M氏のような(自称)民族派が左翼学生と共闘できるノリシロがあったというわけだ。全共闘とはそのような幅をもつ「運動」であったことはもう忘れられている。

 

しかし、そのあたりをきちんと見抜いていた三島由紀夫は、全共闘が占拠中の東大安田講堂へのりこんで、「君らが天皇といえば手をつなげる」、と扇動したのである。

 

 

三島由紀夫vs東大全共闘(長尺版) http://www.youtube.com/watch?v=5wLaND09VF8&feature=share&list=PLofaU_3Stmty2Nvxl6rtdViiXRSVI7qZA(貼り付けても他の画像が表示されてしまうのでURLリンクしました。)

 

 

一度だけ、M氏の口から「田宮の兄さん」がどうのこうの、ということを耳にしたことがある。

 

それは例の「よど号乗っ取り事件」の主犯格・田宮高麿のことであった。

 

話の経緯はすでに失念したが、M氏が共産同赤軍派につうじる人脈をもっていることをそこから知りもしたのだった。

 

<つづく>

 

 

 

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  1. 2012/11/27(火) 11:50:00|
  2. 夢千一夜
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30年前に中共の沖縄侵略計画を予言した人、其の三

そのころ、人の世によくある事件により傷心のわたしはかなり自棄になっていた。その結果、勤め先のオーナーと衝突し職を失う破目になった。

 

そのことを知ったM氏は、ちょうど準備中の新しい活動「中国語コンクール」の専従職員としてわたしを拾い上げてくれたのだった。

 

その経緯の一部については、以前<夢想千一夜【第四十二夜】フランス語講座の夢>で触れたことがある。

 

その結果、M氏自身について、またその活動に関係する人脈から多くを学ぶことになった。

 

M氏がいみじくも指摘したように、中共の対日戦略を知りつつ様様な利権に食いつく形で日本側も「日中友好」を歓迎した、その現実のひとつひとつを自らの体験で確認することもできたのである。

 

しかしそれらの事はさておき、わたしにとってより興味を惹かれた点は、いわゆる「日中青年交流」について、M氏の隠された戦略を知ったことである。

 

最初に述べたように、彼は全共闘参加者ではあったが民族派でもあった。

 

いつものように結論からいってしまおう。

 

M氏の戦略とは、中共による対日戦略の裏返し、すなわちシナにおける日本語学習者の拡大を通じて、わが国益を追求すること、であった。

 

旧満州地域には、今の台湾がごとき親日的気分がそのころ確かにあった。(またそれは今現在も潜在的に存在しているのであるが、その意義については別途述べることもあろう。)

 

彼の戦略とは、彼ら旧満州の「日本語族」(それは間島(現在の吉林省延辺朝鮮族自治区)の朝鮮人を含むのだが)と日本との結びつきを再強化することに眼目があった。

 

ではその後どうするか?その事についてはM氏は語らなかった。

 

 (間島の位置)

 

 

(露シ朝三国国境地帯)

 

画像はともに以下のURLから感謝とともに借用した。

http://port.ssl0402.256bit.net/port_news/2007.7.1/2007_7-2.html

 

 

 

<つづく>

 

  1. 2012/11/20(火) 10:40:00|
  2. 夢千一夜
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30年前に中共の沖縄侵略計画を予言した人、其の二

それはいわゆる「日中平和条約」が締結されてまもないころだった。善良な日本国民は、かっての敵国であり内戦に破れ台湾へ逃げ込んでいた中華民国と日華平和条約を結んでいたこと、そしてそれが中華人民共和国との「国交回復」に伴い破棄されていたことなどすでに忘れ去り、大陸との外交関係が「平和」な状況に落ち着いたことを無邪気に嘉していたのだった。

 

今ではもう記憶している方々はすでにお年を召しておられるだろうが、文革のころは、中共による「日本軍国主義批判」というものが大々的に繰り広げられ、わが国との関係はかなり緊張していたのである。そしてそれは、虚構の「中華民国」と締結した日華平和条約にもかかわらず、わが国とシナとの実質的な戦後処理が済んでいない、ということからもたらされる当然の結果でもあった。

 

それゆえ、「戦後」がシナとの関係においては、その時やっと終わった、という安堵感をわが国民は共有していたのである。基本的にはシナ国民においてもそのようであったことは後に自らの体験で知ることになる。

 

しかしこの「友好」関係樹立とは、その人が指摘したように、中共による、日本から資本と技術を吸い上げ自国の経済建設に用立てようとする外交戦略であり、しかも対ソ防衛戦略上のいわゆる「覇権条項」まで含んだ地政学的戦略でもあったのだ。敵ながら天晴れと今でも思う。

 

 

その人は、しかしその事はきちんと踏まえて上で、いわゆる「日中友好事業」に従事していたのである。

 

ところが後になって実体験的に知るのだが、経済界をはじめとして政界、文化界なども、一部の無邪気な人を除いては、そんな中共の戦略はとっくに承知の上で各自それぞれの利益を追求するため皆が「友好」のフリをしていたのである。これが、「日中友好」のわが国の側の真の有様であった。

 

そのような現実を、その人はまず自らを開示することでわたしに知らしめてくれたのだった。そのことについては今でも素直に感謝している。

 

その人は、全共闘「運動」が壊滅して後に上京し、自然食販売などのいわゆる市民運動をして暮らしていた。その線で菅直人などとも知り合いであったらしい。

 

しかし先にあげたいわゆる「日中平和条約」が締結されたのを期として「中国に日本語教材を送る会」(以後、「送る会」と略称)を立ち上げたのだった。その活動は朝日新聞や多くの媒体で取り上げられ概ね肯定的な評価を受けていた。

 

わたしがその人(これからはM氏と呼ぶことにする)と知り合った頃は、その活動の絶頂期ともいうべきで、「送る会」の活動以外に、留学斡旋、ペンパル紹介、日本語作文コンクールなどを行っており、関連各界との人脈も築き上げ、「中国関係」筋では「日中青年交流」の中心人物と見なされていたのである。

 

<つづく>

 

  1. 2012/11/18(日) 14:25:00|
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30年前に中共の沖縄侵略計画を予言した人、其の一

その人は、かっては関西の某大学の全共闘であったが、しかし民族派でもあった。そういう複雑な思想をもつ人だったことは会ってすぐには知る由もなかった。

 

その人のことを好ましいと思ったことはなかった、むしろ、頭はいいがやや傲慢だな、とわたしには見えた。しかし興味深い人であること、また案外人懐っこい人であることも徐々に知る事になった。

 

神楽坂を早稲田方面へ登ると赤城神社がある。その脇を神田川の方へ下ると、そこは新宿区とはいえ旧町名が残る一帯でむろん区画整理もされていない昔風の街並みが続いている。

 

そのあたりのことは後に金子光晴の『眠れパリ』だったか『どくろ杯』だったかを読んだ時に、詩人がパリへ旅立つ前に住んでいた場所と知り驚いた。とはいえ、それは大正時代のことなのではあるが。しかしそのあたりの街並みは昭和を超えて大正時代もかくあらむ、と思わせる風情さえあったのである。

 

 

 

閑話休題、

 

その町のとある銭湯の二階にその人の指導するボランティア組織の事務所があった。そう、指導者、という人のタイプがその人には相応しく、また周囲もそういう彼に期待と尊敬を集めているように、部外者のわたしは感じた。

 

当時のわたしは、其処からそう遠くもない飯田橋にあるシナ語学校に夜間通っていた。

 

件のボランティア組織は、全国から集めた日本語書籍をシナへ日本語教材として贈ることを目的としていた。そしてわたしの通っている学校は有名な親中派であり、そのボランティア組織を支持していて、書籍をコンテナーに積み込むまえに保管所として学校地下室を提供し、そして積み込む際は学生たちも手伝っていたのである。

 

わたしがその学校に通っていたのは勤め先から近かったこと、そして学生時代はその条件がなく果たせなかったシナ留学を計画中であったからである。

 

長期留学をする前にテストの短期留学をしようと考え、教師に相談すると、そのボランティア組織が運営する留学派遣に参加するとよい、と推薦された。

 

そして訪れた銭湯の二階の事務所でその人に会ったのである。

 

開口一番その人は、「日中友好をどう思う」、とわたしに尋ねた。

 

「どうも友好という言葉は嫌いです、むしろ昔のように親善という言葉がベターではないでせうか」と応えると、

 

「ハナシがわかる人らしいね君は」と、その人は笑った。そして、「友好なんて言葉はね、中共が日本をだまし銭金を吸い上げるために使っているだけなんだよ、そんなものに騙されるのはアホやね」と、いわゆる日中友好団体の一つに数えられている組織のリーダーに相応しからぬことをいうのである。

 

 

<つづく>

 

 

  1. 2012/11/18(日) 00:16:00|
  2. 夢千一夜
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別れの儀式

この冬のおくればせな大寒波がはじまった先月末の日曜に、わたしたち夫婦はあるシナ学者の伝記映画を見にちょっと遠出をした。

途中、家内が、だいたいこのあたりがS夫人の故郷なのだ、とわたしに告げた。なぜS夫人のことを思い出したのかといえば、その一週間ほど前にS夫人からひさしぶりの電話があり、原因不明の背中の痛みの検査のためまもなく入院するとのことだったそうだ。

S夫人については、もう四年以上も前に、夢想千一夜の42、インド・谷底からの声(上)(中)(下) で述べたことがある。そこで述べたことのほぼ九割は事実であった。

さてその日曜日からはじまった大寒波に身を縮めて暮らしている日々に、突然S夫人の訃報がもたらされた。面識のない友人という方からの電話では、入院してから検査の準備中に肺炎を起こしそのまま亡くなってしまった、ということだ。

 

わたしたちが、その故郷の近くで彼女を想っていた日の前日には、S夫人はもうこの世に住む人ではなかったのである。

電話を受けた家内は、そういえばS夫人の最後になってしまった電話では、入院したくない、という言葉がやけに悲しそうであった、ということである。

 

 



家内がS夫人と知り合ったのは、彼女がシナ学を始めたころで、わたしと知り合うずっと以前のことだったという。家内の故郷にある某工業短期大学の英語教師であったS夫人が、シナ学博士であったので、それを知る共通の友人から何かの助けになるので、と紹介されたらしい。


S夫人が専門のシナ学ではなくなぜ英語教師として世過ぎをしていたかは上記記事に述べたはずだ。

いずれにせよ、S夫人は家内の年上のしかも義母とは同年生まれの友人なのであった。ゆえに、わたしぬきでの交友もあった。


たとえば亡きS氏の甥夫妻がドイツを訪問した際は、S夫人が彼らをともなってわが家を訪れもしていたのだが、わたしは勤務を休んでまでそれにお付き合いをすることはなかった。またときおりある電話連絡でもわたしに特に話すこともなく挨拶を終えるとすぐ家内に取り次いでいた。

わたしたちがS夫人をその終の棲家であるバーデン・バーデンに訪ねたのはもう二十年前のことになろう。シナとドイツをめぐるわたしたち夫婦のエニシについての鍵の一つであるS夫人を訪ねることは、わたしにとってはやっておくべき事であった。そして世界についてのフシギな出来事の一つであるS夫人の経験に感慨をもたされたのであった。

あれから二十年、わたしとS夫人とは淡い交流であったが、その生の最期のときを迎えるにあたって別れの儀式のような電話連絡をされてきたのは、晩年はチベット仏教に帰依されていたS夫人の瞑想生活がもたらしたインスパイアのようなものがあったのだろうか。


 

死後二週間たってやっと葬儀の予定の連絡があった。訃報をもたらしてくれた方からである。故郷近くに住んでいるはずの唯一の身内であるS夫人の妹さんにははたして連絡がついたのだろうか?

葬儀はバーデン・バーデンで行われる。家内はもちろん参列するのだが、さてわたしが同行すべきかどうかまだ迷っている。

わたしにとっては、家内の友人ではあるが、故人の想い出はすでにブログで述べたことがすべてなのであって、その後の二十年間というものお会いしたのはただの一度しかなかったからである。その時は、まだ幼かった息子に会うため訪ねてきてくださったのだが、わたしたちがバーデン・バーデンを再訪することはついになかった。

 

ちなみに、葬儀はあの白いブラームス・ハウスの立つ岡の下の修道院内のチャペルでとりおこなわれるという。

 

しかし、わたしはけっきょく参列しないだろう。わたしにとって、S夫人との別れの儀式はもうすでにすんでいるような気がするからだ。


 

  1. 2012/02/08(水) 10:06:00|
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プロフィール

丸山光三

Author:丸山光三
世界は変容する。変容させようとする力が作用するからだ。しかし、かってにそうはさせまいとする吾等の力を示そう。世界はやつらのものではなく、けっきょくは吾等のものであるべきだからだ。

イザ・ブログ消滅にともない<丸山光三或問集(旧マルコおいちゃんのヤダヤダ日記)><アムゼルくんのブログ>を吸収合併。

ついでに忍者ブログの<ドイツ生活ああだこうだ事典>もこちらへ吸収合併凹凸

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